
昭和四十六年十二月十八日、神奈川県立博物館(横浜市中区南仲通り五ノ六〇)に出張し、同館が購入した旧鶴岡八幡宮社人金子氏旧蔵の文書を調査撮影した。この文書は『相州文書』に収められているが、本所には原本から写したものはなく、原本の所在も不明になっていたものである。金子文書は次の五通よりなる。
寿永三年六月三日 源頼朝下文
建長二年七月廿五日 関東御教書
嘉暦元年八月廿日 鶴岡八幡宮相撲奉行猿渡盛重子息盛信和与状
嘉暦元年十月十二日 関東下知状
文明十二年二月十三日 鶴岡八幡宮寺補任状
なおこの文書を紹介したものに、同館々員八幡義信氏の「鶴岡八幡宮相撲職関連文書について—散逸した古文書の出現—」(『神奈川県立博物館研究報告』第5号、昭和四十七年三月)がある。(皆川完一・鈴木茂男・黒川高明)
『東京大学史料編纂所報』第7号p.109